子供の頃から原辰徳ファン!
うろ覚えではあるが、小学校4,5年の時には、名前を知ってファンにファンになっていた。
原監督と自分はちょうど10歳、歳が違うのだが、 小学校の時から好きな人である。東海大相模高校から東海大へと進み、 1980年のプロ野球ドラフト会議で、4球団の競合の末、藤田元司監督が一番くじを引き当て巨人軍に入団した。あの時の光景はなぜか今も覚えている。自分自身も何故か嬉しかった。
1981年の開幕戦に、6番セカンドで先発出場し、中日、牛島和彦投手からプロ初安打を打つ。その翌日には、 当時のエース 小松辰雄から、ライトスタンドにプロ初本塁打を放ったのを鮮明に覚えている。
そのシーズン途中で、3塁のレギュラーであった中畑さんの故障で、本来のポジションのサードに着くようになった。
それからは順調に成績も伸びていったが、1986年に悲劇が起こる。
ナオキ いよいよ、原が帰ってくる! <ジャイアンツに原監督が戻ってきた! 原辰徳監督が2019年より、自身3度目の読売ジャイアンツの監督に就任した。 私は子供の頃から原辰徳ファ[…]
広島津田投手との対決!
この年は、初のホームラン王が視界に入るぐらいの調子の良さでホームランを量産していた。しかし、あの出来事が起こる 。 広島カープのストッパー、津田恒実選手が投げた直球を全力で打ちにに行ってファールになった後、顔をしかめながら蹲り、一人で手首を気にしていた。その時点で交代した。
診断結果は、左手首の有鉤骨の骨折。その年のシーズンは欠場した。
最近テレビで知ったことだが、「事実上、バッター原辰徳は、この骨折の時に終わりました」と、 言われていたことで、それほどの影響があったのだなと思いました。
ナオキ 2020年6月19日金曜日、新型コロナウイルスの影響により開幕が延期されていたプロ野球が開幕しましたね! 2020年プロ野球が開幕した! やっとという思いと、大丈夫なのかという思い[…]
近鉄バファローズとの日本シリーズ!
その骨折から3年後。ジャイアンツがセリーグを制覇し、いよいよ日本シリーズ。 仰木監督率いる、近鉄バファローズとの日本シリーズが始まった。
日本シリーズ開幕から3連敗、原選手自身も、 18打席連続無安打と極度のスランプに陥る。第3戦目に先発した近鉄の加藤投手からは、ジャイアンツよりも、パリーグ最下位のロッテの方が強いと言われる発言まで飛び出した。
1989年日本シリーズ第4戦は、なんとか勝って迎えた第5戦、 原選手の前を打つクロマティ選手が敬遠され、満塁で不振の原選手勝負となった。追い込まれたながらも、シリーズ初ヒットとなる、起死回生の満塁ホームランを放ち 、それから流れが変わり4勝3敗で日本一になった。
それ以降は怪我との戦いだった!
1990年には開幕戦で脇腹を痛め、 1992年に一塁にコンバート、 アキレス腱痛などもあり、翌1993年にはサードに復帰したが、 いくつかの故障に悩まされ打撃不振に陥り、プロ野球入り以来初めて、規定打席に到達できなかった。そしてこの年のオフに中日から落合博満がフリーエージェントで巨人に入団した。
1994年には左足のアキレス腱を部分断裂し開幕一軍は叶わなかった。度重なる怪我と、主砲落合の入団、この年に日本一にはなったが、翌1995年シーズンを最後に現役を引退した。
現役最後の東京ドーム!
1995年10月8日、パラ選手の引退試合が東京ドームで行われた。四番サードでスタメン出場、広島の紀藤投手から、ストレートを左中間スタンドへホームラン。 現役最後の382本目のホームランを打った。
現役最終打席の大野投手との対戦では、レフトフライに倒れた。大野投手は、原選手に打たせに行ったようだが 、おそらく原選手が打ち損じたのだろうと思う。
晩年の自分の使われ方への不満や、度重なる怪我への苛立ち、他球団からの誘いなどもあったようだが、ジャイアンツ一筋で終われたのは幸せだと思うし、監督になってからの結果なども見ると正解だったと思う。
もう選手としては見れないが、また監督として帰ってきてくれたので頑張って応援しよう!